飲み会のマナーをどう考えるか

サラリーマンについて

12月も中旬となり、街には忘年会の予定が溢れ始めました。居酒屋の予約が取りづらくなり、会社のチャットやメールにも「忘年会の日程について」という件名が増えてくると、年の瀬を実感します。

私はいわゆる中間平社員です。役職はないものの、社会人歴はそれなり。上には昭和・平成の飲み会文化を体現してきた先輩方がいて、下には令和の価値観を自然体で生きる後輩たちがいます。そんな板挟みな状態で何がただしいのか葛藤を感じます。

お酌はマナーなのか

私が新人だった頃、飲み会は「仕事の延長」で、先輩の飲みについて行くのが当たり前でした。

飲み会の席では次のことを叩き込まれてきました。

  • グラスが空いたらお酌をする
  • 上司より先につまみをつままない
  • 上座下座を意識する

これらがマナーなのか、最近わからなくなってきました。これらのことをできる人は「気がきく人」なだけでマナーにならなくなってきている気がします。今の若い人にはこれらのことができない人が明らかに多いです。ハラスメントが世の中にはびこり、これらのことを押し付けるとセクハラだパワハラだ老害だなど言われ教えられなくなってきているかと思います。

後輩に「昔はお酌をするなどのマナーがあったんだよ」と伝えてみたところ、縄文時代の話を聞くかの様びっくりしていました。常識がこんなにも違うのかと思い知らされました。

自分たちが当たり前にやってきたことを、後輩にも少しは理解してもらいたいと感じます。

先輩世代の飲み会は「空気を読む力」がすべてだった

先輩方の中には、「飲み会で人となりを見る」「酒の席で本音を聞く」という考えを持つ方も多く、飲み会は評価の場でもあったように思います。無礼講と言いながら、実際には細かなマナーや暗黙のルールが存在し、それを察知できるかどうかが社会人力の一部とされていました。

今振り返れば、理不尽に感じることも多々ありましたが、同時に「場を壊さない振る舞い」や「年長者を立てる作法」を学んだのも事実です。

令和の若手は「無理をしない」が大前提

一方で、今の若い世代の飲み会観はまったく異なります。お酒を飲まない選択は当たり前。二次会に行かないことも失礼ではありません。ハラスメントへの意識も高く、「飲みニケーション」という言葉自体を嫌う人もいます。

後輩たちは決して礼儀がないわけではありません。ただ、無理をしない・させないことを最優先に考えているのです。飲み会はあくまで任意参加のイベントであり、楽しめないなら参加しないという判断も、合理的で健全だと感じます。

ただ、先輩世代の価値観を知っている身としては、「それをこの場で言うのは危ないのでは」とヒヤッとする瞬間があるのも正直なところです。

中間平社員は板挟みになる

忘年会の席で、先輩が「若い頃は朝まで飲んだもんだ」と笑いながら語り、後輩が「自分は一次会で失礼します」とスマートに帰る。その空気をどう繋ぐかを考えているのが、私のような中間平社員です。

先輩には「最近の若い子はドライだ」と言われ、後輩には「無理に付き合わなくていいですよ」と声をかける。そのどちらの気持ちも分かるからこそ、どちらにも完全には寄り切れないのです。

グラスを注ぐべきか、放っておくべきか。二次会に誘うべきか、聞かない方がいいのか。その一つひとつに、正解がないのが今の飲み会マナーだと感じます。

今の時代の「ちょうどいいマナー」とは

中間平社員として行き着いた結論は、マナーとは強制するものではなく、選択肢を用意することだという考えです。

先輩には最低限の礼を尽くしつつ、後輩には逃げ道を作る。飲めない人にはソフトドリンクを勧め、帰りたい人には「お疲れさま」と笑顔で送り出す。場の空気を一方に寄せすぎず、緩衝材になることが、今の自分の役割なのだと思います。

忘年会は一年を締めくくる場であって、誰かを試す場ではありません。全員が同じ楽しみ方をする必要もありません。

今年もまた、心の中で小さな葛藤を抱えながらグラスを持つことになるでしょう。それでも、中間平社員だからこそ見える景色があり、できる調整があります。

忘年会シーズンが終わる頃、「今年はそこそこ平和だったな」と思えたなら、それはきっと、中間平社員としての役目を果たせた証なのだと思います。

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